こんにちは、スタッフますだです。
12月5日(金)〜10日(水)までせんだいメディアテークで開催された「デザインウィークinせんだい2014」にて、「仙台におけるファブラボのこれから」と題してトークセッションが行われましたので、その様子をレポートさせていただきます。

当日は、ファブラボジャパン発起人・慶應義塾大学 田中浩也氏をお迎えし、建築・都市の専門家である東北大学 本江正茂氏とFabLab SENDAI FLATのスタッフを交えて、都市としての仙台の特性を前提としたファブラボの在り方について議論を行いました。

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(左から、宮城大学 土岐謙次氏、FabLab SENDAI 小野寺、慶應義塾大学 田中浩也氏、FabLab SENDAI 渡辺、東北大学 本江正茂氏)

まずはじめに、田中氏による”ファブラボのこれまでとこれから”についてのプレゼンテーションが行われました。田中氏の原点となったファブラボインドを始め、世界的にも歴史のあるファブラボボストン、歴史的建造物の中にあるファブラボアムステルダム等の事例のほか、アドバイザーを務めるファブラボ鎌倉についてスライドを使用してお話されました。また、ベトナム、フィリピン、マレーシアなど、シルクロードを逆流するようにアジアのファブラボをつないでいきたいという今後の展望についても語られました。
その後、”FabLab SENDAI – FLAT の取り組みと今後”について、スタッフの小野寺がプレゼンテーションを行い、ファシリテーターである本江氏の進行のもとディスカッションが行われました。

今回のトークセッションはUstream等でのインターネット配信が無く、残念ながら参加できなかった方も多いとのことでしたので、ディスカッションの内容を文字に起こしたものを掲載させていただきます。かなり荒削りな掲載方法な上だいぶボリュームがありますので、是非お時間のあるときにご覧いただければと思います。


(以下敬称略)

小野寺ーーファブラボ仙台は他のラボに比べて複数の大学、行政との連携がきちんとあります。ファブラボつくばは筑波大学、ファブラボ鎌倉は慶應義塾大学SFC、ファブラボ渋谷は多摩美術大学のようにラボひとつに対し一大学ですが、仙台は宮城大学・東北工業大学・東北芸術工科大学・東北大学といったように複数の大学と連携を取ってプロジェクトを進めたり技術指導を行っています。そういう意味で周りの方々に非常に恵まれています。ですので、周りの方々と一緒にこの場所を組み立てていけるような気がしています。特に仙台はコンパクトシティとも呼ばれ、一箇所に機能が集中しています。わたしたちが頑張るだけではなく、この機器を使いたいならここに行けば良いよねといったようなハブとして存在する方向性も考えられると思います。

渡辺ーーファブラボ鎌倉だと企業研修などを行っている。我々も受け入れてはきたが、メインはクリエイターの支援事業だからフルオープンでやってきたのでそちらを優先出来ない部分もあった。仮に他のファブラボのように運営のやり方を考えることで、企業研修のニーズには答えられる余地はある。もうひとつポイントは、ファブラボ仙台は日本最北端であること。関東以北には今の所ファブラボ仙台しかいない。東北地方からの視察はあるので価値はある。そういうことを活かした収入を得る事は可能かもしれない。タネはいっぱいある気がする。それをどう活かしていくかがポイント。

田中ーー産業育成事業と文化育成事業は違うと思うけれど、仙台のみなさんは一体どちらに行きたいのか?

渡辺ーー「産業」という区分で考えると、宮城県には産業技術総合センターがある。我々が現状の設備・人員・スキルで果たしてそこまでの役割を負うべきか。現状ではNOだと考える。なので文化のほうなのかという気がする。全体的なファブラボ日本の考えからいくと、教育的な側面に力をいれていこうという傾向がある。そちら側に行く可能性が残されているのではないかと思う。

小野寺ーー私は産業技術総合センターさんと連携がとれればと思っています。産業技術総合センターさんの対象は大企業メインで仙台市が言う起業したい人たちは行きにくいのではないでしょうか。そういった人たちを我々が受け入れるのかなと。自分でもがんばりたいけれどどっちに行きたいか分からない方たちを、産業技術総合センターさんと連携して振り分けるなど。その一連の流れ自体も教育ではあるけれど、結果産業に結びついたらおもしろいと思っています。
例えば、宮城大学・土岐先生とプロジェクトを進めている郷自然工房の佐藤さん。普通に仕事をしていたらデジタルファブリケーション機器を使うことはなかったと思います。ですが、ラボに通ってくださることによって佐藤さん自身の仕事の幅も広がったと伺っています。そういった伝統工芸職人さんをサポートするのがわたしたちの役目だと考えています。「産業文化」という言葉もありますし。

田中ーーサッカーの「Jリーグ」の仕組みをファブラボで実践することができないかな、ということを近頃考えている。地域の企業がラボ(チーム)を支え、ちょっとずつでもサポーターになってくれればいい。それを今大学が担っているが、大学が企業からお金を集めてそれをファブラボに流し、その代わりに大学の事業やプロジェクトをラボで協力し実施するなどの方法が考えられるのではないだろうか。
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本江ーー今「教育・文化・産業」というワードが出ましたが、これらはすべて「ものをつくることには価値がある」という前提にありました。つくったほうがいいとみなさん考えていると思うけれど果たしてそれは本当でしょうか?。100円均一に行けばいくらでも安いものが売っています。コミュニケーションはSNSで出来るし働かなくて引きこもってる人たちのほうが幸せに見えるような時代に、多大なゴミを出して試行錯誤してでもものをつくる意味は何でしょうか。それを自分でやることにどんな価値があるのか、みんなでやることにどんな価値があるのか、会場のみなさんも是非一緒に考えましょう。

来場者ーーわたしはメーカーに勤務していました。ファブラボには近いところにいましたが企業側の人間でした。ものが飽和状態になり中国で作った物が売れていく、、ではどうするのか?。この問いについては会社でも散々ディスカッションしたが答えは無いというのが結論でした。私は意味については先に考える必要がないと思っています。一番お金が集まる所、人が集まるところでやればいい、クラウドファンディングもあります。思いついたことをどんどんやってけばいいってことかなと思います。

田中ーー僕はよくキックスターターの怪しいガジェットをたくさん買っている。この行為を自己分析すると、ものを買ってるのではなく夢を買っているのではないだろうか。わくわくさせてくれてありがとう、みたいな。クラウドファンディングにおいても震災復興系で様々なプロジェクトに出資したけれど、自分では出来ないものに出資している。ものだけつくるのは意味が無い、ものにどれだけ濃密なストーリーが込められるのかが重要なのではないだろうか。アメリカの社長は新製品が発売されるとき「こんな想いで作ったんだ」とプレゼンテーションするが、日本の社長は不祥事などで謝る時にしか出て来ない。本来は何か思いがあってつくられたのだからその想いを伝えなければならない。ものづくりは人間の想いがこもり易いもの。

本江ーーたしかに、単純に配当があるだとぴんとこないね。

田中ーーそれに北国のひとはシャイなヒトが多いね。ネットにモノだけ載せて顔載せないとか。

会場ーーた、たしかに…(笑)(笑)(笑)
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渡辺ーーそもそもモノをつくることがいいのかという質問の裏には大量消費大量生産に対する批判的な目があるのかなと捉えた。個々人のものをつくる能力を開発していくというのは、それらを改心していくので意味があることだ。だとしても、ものをつくる必要があるのかと聞かれるとどう回答してよいのか悩んでしまう。
個人的にファブラボでかかわっていて一番素敵だなと思うことは何かと言うと、「考えたことを諦めないで済むこと」だ。そこのリミットの無さ、それそのものが一番気持ちいいと思っている。子どもの頃はやりたいと思うことを疑わず動いていたが、大人になったらブレーキをかけている部分もあった。でもファブラボだとその感覚が研ぎすまされていることを感覚的に感じた。なかなか説得することはむずかしい。ぜひみなさんやってみましょう!

小野寺ーー私は大学の卒業研究のテーマが、「ものづくりできる環境や材料があるのになぜみんなものをつくらないんだろう」で、この時点でちょっと上からみてたのかなと今ハッとしました。
昔は自分のものを自分で作ると言う傾向がありました。そうすると自分のつくったものなので愛着が湧くのはもちろん、周りに自慢もします。自分のつくったものを説明するというのがコミュニケーションをとるきっかけになります。コミュニケーションをとらなくても生きていけるという意見もあるかもしれませんが、何かしらのきっかけにはなり得るでしょう。

渡辺ーーそれに、絶対が全員ものづくりをしなければいけないというわけではないしね。

田中ーーそう、すべてのひとにものづくりしろとは言っていない。ファブラボ鎌倉は、鎌倉という土地がもとからものを作る人が多いから選んだ。仙台のような地方の都市にファブラボがどうカルチャーとして溶け込んで行くかは興味がある。ちなみに、慶應義塾大学SFCは周りに一切お店が無い。なのでデジタルファブリケーション機器で道具をつくっている。「場所」はファブラボにとって大事な要素であり、それぞれの立地によって存在する意味がある。

本江ーー僕は普段建築デザインを教えていますが、建築は500年前から図面を描くことが仕事になりました。図面が正であってコピーができる、つまりひとつ原案をつくって大量生産されるモデルです。この場合はその型をつくるひとがクリエイターになります。しかし、今は一見大量生産にも見えるが、微妙にひとつひとつ異なるデザインが施されているような生産モデルの芽生えの時期でもあります。ひとつの原案を工場に発注するだけではなく、半完成品を個々人が手を加えることによって完成させる、それができるくらい成熟した社会になっているのではないでしょうか。
また、現在宮城県青年文化センターにて「ふるさとの記憶 失われた街模型復元プロジェクト」という東日本大震災における建築家による復興支援のプロジェクト展が開催されています。このプロジェクトは、実際にその街に住んでいた人々に模型を見ていただき、その模型を見て「そこが私の家だった」「この店でよく飴を買ってた」など、みんなの思い出を飾って行くプロジェクトです。最初は真っ白な模型が、そこに住んでいた人々の記憶で埋め尽くされていきます。この様子を見ていると、やはりものを見ながら話しているときの”スイッチが入る感じ”はやはり違うなと感じます。ものにはストーリーが込められていて、それを引き出す能力があるというのがよく分かります。
話が少し脱線してしまいましたが、ファブラボ仙台をどうやって自立させるかについて。実際に動いて行けば立ち上がっていくのではないかという案も出ましたが、地方は都会とは違ってほっとけばどうにかなるというほど甘く無いかもしません。

来場者ーーでも都会が応援してくれるのではないでしょうか?

本江ーーなるほど、そういう場合もあるかもしれませんね。

【質疑応答】

来場者ーー「ファブラボ」の説明の仕方がむずかしいと感じるところがあります。ファブラボは何を解決していくのでしょうか。工作室なら元々ありますし、最近はネットワークされている工作室も増えてきました。そういったところとの違いは何なのでしょうか?

田中ーー一言で言うと、「地域の問題を地域で解決出来るラボ」。これについては各ファブラボが定義しなければならない。ただ、まだファブラボの定義に依存しているラボが多い。各ラボが自分たちの路線を明確に出す必要がある。

小野寺ーーものづくりとひとえに言っても、発散のためのものづくりと伝達のためのものづくりがあると思います。ラボで当てはめてみると、ファブラボ鎌倉の場合は伝達、ファブラボ北加賀屋は発散にあたるのかなと。我々ファブラボ仙台は伝統的な技術や素材を発展させていくだけではなくどうやって継承していくのかなど、伝達のためのプロジェクトをしていきたいと考えています。

来場者ーーそれをするとどうよくなるのでしょうか?

小野寺ーー技術を伝承したいというのは、単純に私自身が和紙の工房が好きというのもありますが、ものづくりのヒントが増えると思っています。失われている技術はたくさんありますが、それをきちんと認識して行くことで、温故知新といったように古きを知り新しい技術を得ることができるのではないでしょうか。そういった側面で意味はあると考えています。

来場者ーー私は、ものづくりはものが無い所から湧き出て来るものではないかと思っています。大量生産は欲しいものに近いかたちを「どれにしようかな」と選ぶ世界で、ものづくりの発端は「無いからつくる」という原動力そのものだと思います。但し、急に「ものづくりは楽しいよ」「ものづくりって○○だよね」と言われても、普段ものをつくらない人間からしてみると全くピンときません。自分の生活の中にものづくりが入り込んできて、それによって夢や希望が叶えられるから素晴らしいと感じるのだと思います。
特にジャパネットタカタの高田社長の売り方は、その商品が自分の手元に来たとき自分の生活にどう馴染むのかというライフスタイルの面から紹介しています。なので、ものづくりの面白さや楽しさを伝える為には、生活にものづくりが入ってきたらこうなるんだよといった切り口で説明するとスムースに伝わるのではないかなと思いました。
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田中ーーファブラボインドから僕のファブラボ人生は始まった。インドはサバイバルのためにものをつくってる。だから、日本のような物の多い国でなぜファブラボをやらなければならないのかは常々悩んでいる。むしろ、みんな世界のファブラボに出かけてほしいなと思っている。まだまだ物が少ない国もある。自分がいま居る場所で意味を考えようとしても答えは出ない。なぜファブラボはネットワークなのか。旅することを後押しする意味もある。

渡辺ーー日本でファブラボをやるって意味は僕にもわからない。ものが無い国では本当に必要とされている。EU・スペインでは政府の大きい援助があり、新しい雇用を生むということで期待されている。ファブラボはそれに答える一面もある。日本でやるとなると自己定義が必要になるなと改めて思いました。

小野寺ーー日本の場合、売っているものでも充分に満足出来ます。ものづくりはしたいひとだけすればいいという状況ではあります。だとしたら、エネルギーに余裕がある国だからこそもう少し遊びの部分にエネルギーを使ってみてもいいのかなという気もします。もちろん問題解決も重要ですが、そういうことばかりしているとものづくりって何かを解決するためにするのかなって思われがちになってしまいます。遊びはふざけることだけではなく、別のひとがあとから手を加える余地のあるものをつくるとかがわたしたちにできることなのかなと思います。ぜひみなさんの、こういうものがつくりたい、とか、こういう場所にしたい、とかいう意見を聞かせてほしいです。まだ仙台での認知度が少ないので、ものつくらなくてもファブラボ仙台に是非一度いらしてほしいです。

田中ーーファブラボ仙台が日本のファブラボの中で一番特徴的なのは、年齢が若いということ。一番応援したくなる。
また、新産業になるかどうかはともかく、ファブラボ仙台がなくなったら悲しいなってところがみなさんあるとおもう。どこかひとつが抱えるっていうことじゃなくてもいいと思うので、大学、仙台市、メンバーで協力してほしい。みんなでがんばってファブラボ仙台を持続してほしいと思っている。

土岐ーーものづくりって一体なんだという話がありました。何かをつくるというときに、どんなものでもそれがどうやって出来上がっていくのかという仕組みを理解し、それをどんどん解釈を拡大していくと、世の中ってこんな風に出来てる、世界はこう出来ているとわかるかと思います。そういう意味で言うと教育にかなり直結するのではないでしょうか。そこの価値は正だと思います。つくらないと世界を理解出来ないよと、その価値を正しいこととして価値付けをしていく必要があると思います。その土壌がプラットフォームになれば、個別のものづくりというものがそれぞれ育っていくのかもしれませんね。

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今回は「仙台におけるファブラボのこれから」というテーマでディスカッションが始まりましたが、そこから派生してものづくりとは何か、ものづくりの価値とは何か、という議論まで発展しました。参加者の方々からの質疑応答のコーナーでも思わずハッとさせられるような問いかけもあり、全体を通して大変充実した会になりました。
ただし、「ものづくり」という言葉がどのレベルの行為を指すのか明確に共有できず認識が異なる場面が発生したような気もいたします。(「調理」という単語を例に挙げると、カップ麺にお湯を注ぐことも調理ですし、卵を割ってフライパンで卵焼きを作ることも調理ですし、魚を一尾捌くことも調理です。)
次はそういった面も事前に会場全体で共有することができればより一層議論が深まるのではないかと感じました。

まずは、イベント盛りだくさんの一週間、本当にありがとうございました!